Interview

フィールドでまなざしを耕す──南インドに降り立って

松岡佐知 (まつおか さち)


専門: 医療人類学、人類生態学、南アジア地域研究

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{ Q1 }

ご研究について教えてください。

特異な医療多元性と信仰の多様さ1をあわせもつ南インドで、医療・福祉について地域研究を行っています。社会の中に存在する医療は、常に取り巻く生態・社会環境から影響を受けて変遷しています。慢性疾患が増加する現代にあっては、治療するという観点では、身体全体の均衡や調和に重きを置くような東洋医療をはじめとした多様な医療が併存している必要があります。また、人々が望む治療や生老病死のあり方は、地域性や個人差があり、医療制度外にある非西洋医療を選好する人も増加しています。このため、病気の治癒や寛解、改善を目的とした医学などの客観性を重んじる自然科学的な視点だけでなく、それぞれ個別の病者の一人称の体験とその体験が生じる環境にもまなざしを向けています。

南インドでのフィールドワークを通して、公的に、もしくは人々から「医療」や「福祉」と認知されていなくとも、そのような働きをしている地域特有の実践が多くあることに気づき、公助が逼迫する現代にあってその機能に特に関心を持っています。博士研究では、あえて医療制度の外にある伝統的治療師2の側から地域医療の全体像を把握することで、既存の医療という枠にとらわれずに、社会に生きる人々にとっての医療のあり方について議論することを目指しました。伝統的治療師と公的伝統医療の相補的な関係性、伝統的治療師が制度による画一化・標準化を逃れたためにもつ多機能性などを指摘することができました3。環境変化により薬用植物の採取が難しくなり、また公的援助を受けないために、私の調査した伝統的治療師にかかると、近隣の公的なアーユルヴェーダ診療所より治療費が高くなります。新自由主義経済に巻き込まれる伝統的治療師の持つ公共性について、今は論文を書いています。

薬草を煎じる伝統的治療師の母。滞在した治療院では、伝統的治療師の家族やスタッフが協力して薬用植物を粉砕し、煎じるなどの作業をしていました。

アーユルヴェーダ医師が営む病院の製剤室。作業は明文化されており、ここでは「さじ加減」は要求されません。

また、そういった医療に関わる知の体得方法としての大学教育と身体的な修行の差異にも関心を持っています。インドの伝統的治療師は、日本の武道家のように、師匠について身体的修練を繰り返すことによってその知を身につけます。学校教育にあるように概念として医学を最初に学ぶと、臨床の場においても身体をその概念を通じて見ることから逃れるのが難しくなる部分があるのではないかと思いました。もちろん、伝統医学であれ概念や理論は重要ですし、医師として経験を積むに従いそれぞれ固有の患者と出会いやすくなるのだと思います。どちらにも良し悪しがあると思いますが、日本の医学教育モデル・コア・カリキュラムが近年改訂された4こともあり、また医学生への講義を担当することもあり、教育法についてもインドの事例を通じて研究を深めたいです。

{ Q2 }

研究の道に進むきっかけや、
今のご研究に至った経緯について教えてください。

薬学部に在籍していた頃から、自然科学がもつ身体を細分化した要素の集合体と捉える要素還元的な考え方に、ある種の窮屈さと物足りなさを感じていたように思います。

その後の医療機関や西アフリカでの村落調査などの業務経験を経て、公的制度からもれてしまう人や、いわゆる医療では治療が困難な人が多くいることに気付かされました。

同時に、どんな病気でも治す、全ての人を制度でカバーするにはという方向性よりも、それぞれの人にとっての生老病死のありかたというものを「医療」を通して問い直してみたいと思いました。そして何より、オーガニックな人の生きる「現場」にますます関心を深め、探究をしてみたいと思いました。

朝課後の伝統的治療師。「夜明け前からの瞑想、ヨーガ、マントラの詠唱は、伝統的治療師としての身体性を整えるのに非常に重要だ」と言います。

{ Q3 }

研究で出会った印象的なひと、もの、
場所について、エピソードを教えてください。

ありがたいことに研究を通じて、多くの素晴らしい人やもの、場所に出くわすことができました。一つあげるとすると、アーシュラム(宗教的修道の場)に調査のために滞在していた際に人の死に直面したことです。

在家の修行者であり、友人でもあるスシーラという老婦が目の前で倒れて、慌てて抱き抱えているときに、そのまま亡くなりました。これに対して、周りの人は私に、「スシーラの死に立ち会えたなんて、とても幸運だ」「あなたが(日本から)ここに着いた日に彼女が肉体を離れたなんて、祝福されているね」と口々に言って、その翌日もそのまた翌日も、何事もなかったかのように、日常の営みを続けたことです。うまく表現できませんが、これまで私が想像し築いてきた死という概念が解体したような体験でした。

死という事象がある時に発生するというように生と死のあいだに明瞭な境目があるのではなく、スペクトラムのような連続体の関係にあるのだと実感しました。冷静に科学的に考えれば連続体であることは理解できますが、その境目は脳死の取り扱いなどでわかるように大きな議論となるほどで、そこに法律や物語などで区切りを入れているのは社会であり人間だと体験的に知れたことは大きな出来事であったと思います。

悪心患者に柑橘類の果汁を鼻腔に滴下する治療をする伝統的治療師。「周りにあるすべてのものが薬になりうる」と言います。

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{ Q4 }

特に影響を受けたものや本を教えてください。

大学生の頃に影響を受けた一冊に青山圭秀著『理性のゆらぎ──科学と知識のさらなる内側』(三五館、1993年)があります。物理学で博士号をとった「理性の人」である著書が、私たちがなんとなく信じている科学に存在する「ゆらぎ」について、インドで経験した精神世界を紹介しながら、量子論から解説した書籍です。無批判に信じていたことの存在に気付かされたり、抱えていた違和感の一端が見えたように思いました。そこからは、自分を取り巻く世界への向き合い方が少し変わったように思います。

{ Q5 }

研究の成果を論文や本にまとめるまでの
苦労や工夫をお聞かせください。

フィールドワークで出会った世界を再体験するような没入感とともに、理性がないと書くことができないように感じます。このため、自分の体調や環境を整えて書く場を設定することが大事だと思っています。自分で能動的に書くというよりも、自然とそうなってしまう場というのでしょうか、いずれにせよ、常に困難です5

ヒンドゥー教の教えに基づくアーシュラムにて、訪れていたムスリムの高校生たちにインタビューをしました。そして、よくあるように、インタビューをされ返されました。先方の方が私の存在を不思議がります。

{ Q6 }

若者におすすめの本についてコメントをいただけますか。

どの分野の人にもおすすめできるのがハナムラチカヒロ著『まなざしのデザイン──〈世界の見方〉を変える方法』(NTT出版、2017年)です。院生時代に著者のハナムラ先生がゲストとして招かれた講義で知った先生の医療施設でのプロジェクトに興味を持って、本を手に取りました。ランドスケープの研究者である著者が、風景とは客体である環境と主体である人間との関係性によって生まれ、その関係性を「まなざし」として捉え、その「まなざし」を異化するデザインについて書かれています。

 最初は、他者の「まなざし」のことを想定して読んでいるうちに、他でもない自分の「まなざし」の存在と出会ってゆきました。自分という主体の中で風景が生成し続けていることに気付かされます。同時に、自分が無意識に前提としているものの見方やその偏りは自分が認知できる限界を超えているとも思わされます。そのような「無知」の領域は多層的で、あるところ混沌としていて「無知」を知るほど、言葉によるカテゴリ分類から離れ抽象度が増していくように思います。

例えば、道を歩いていて「あっ、南天の実だ」と視界に入ったものから思うことがありますが、それは自分の記憶にある南天と照合してそのように判断し、決着をつけてしまっているとも言えます。そのものの状態や固有性をまっさらに見れているかというと、そうではないと思います。

私たちは、無意識に知識と経験に基づいて判断を繰り返しています。そのことに意識的であることで、自分の関心が向くことや色眼鏡の存在に気づくことができるのではないでしょうか。ただし、判断を交えずに未解決にしておくというのはしんどいことです。それでも、自分のまなざしを発見・開拓しつづけた先の景色を見たいと感じさせてくれます。そして、それが私の場合でいうと昔学んだ生理学などの知識に出逢い直させてくれるようにも思います。

調査で訪れたアーユルヴェーダ病院の屋上からの景色。写真に写っているのは寺院です。

{ Q7 }

これから研究者になろうとする人に
ひとことお願いします。

正直にいうと私は研究者になることを目指したことはなく、知りたいことを探究していたら、結果として研究者になっていたというのが実際です。その観点から言うと、興味のあること、些細な心のつっかかり、感情が揺さぶられた体験などを大事にしてほしいと思います。そこに、かけがえのない研究のタネがあると思うからです。大学を出てから時間を経た社会経験のある人にもぜひ、そのタネを蒔いて、育てていただきたいです。そして、この時代に即した新たな「研究者」のあり方を体現していって欲しいと思います。

調査の際は、古今書院のKОKONフィールドノートと0.9ミリ芯のシャープペン(プレスマン)をいつも携えています。

{ Q8 }

これからの野望をお聞かせください。

伝統的治療師の隣に住んでいたメーカナというニックネームの女の子。現地のマラヤーラム文字をお母さんのシャマから学んでいました。

お世話になったある先生に「野心がほんとないよなあ」と苦笑いされたことがあります。あえて言うと、「しっかりとした野望を持たないでいること」が野望かもしれません。何か目標を決めて、それに向かって進むよりも、自分自身が変化してゆくだけの余地を与えておきたいと思っています。

(2022年1月17日)

1. インドでは、いわゆる西洋医療、アーユルヴェーダやシッダなどの伝統医療だけでなく、ホメオパシーといった非西洋医療も医療制度に取り込んでおり、それぞれ医療システムごとの医師免許や公立の診療所・病院があります。

2. 伝統的治療師とは、現地でヴァイッディヤ(vaidya)と呼ばれる公的資格を有しない治療者のこと。治療に関する必要な知識や技術をグルクラ(gurukula)と呼ばれる徒弟制度を通じて身につけ、医療制度が成立する前から社会活動・奉仕(seva)として、地域に医療を提供しています。

3. 松岡佐知『南インドに生きる医療―─制度と多元性のあいだ』 (風響社、2020年、http://www.fukyo.co.jp/book/b507903.html)を参照。

4. 医学教育モデル・コア・カリキュラムは2017年に改訂され、初めて社会科学(特に社会学・人類学)の内容が導入されました。導入の背景には、慢性疾患の増加により、医師に生命に関することだけなく、社会的な事柄への理解が要請されるようになったことや、WFME(世界医学教育連盟)が定める医学教育の標準に合わせるといったことがあります。

5. 松岡佐知「「目覚めた人」が、日々瞑想し続ける理由」『アジア・アフリカ地域研究』14(2): 322-325(https://www.jstage.jst.go.jp/article/asafas/14/2/14_313/_pdf/-char/ja)は、南インドでのフィールドワークの日々について綴ったエッセイ、また、「インドの土と菌、医療」『農藝ハンドブックVol.2 山と生きる』(あらたま農藝舎、2017年、226-227、238-241頁)などがあります。

 

参考

スタッフ紹介 松岡 佐知
https://kyoto.cseas.kyoto-u.ac.jp/staff/matsuoka-sachi/

東南アジア地域研究研究所 機関研究員

松岡 佐知

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