Interview

仏教研究の情熱をおすそ分け

川本佳苗 (かわもと かなえ)


専門: 仏教学、宗教学、文化人類学

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{ Q1 }

ご研究について教えてください。

日本の仏教とは異なり、東南アジアや南アジアで信仰されている仏教は上座部仏教と呼ばれており、食事・服装・外出などの生活ルールが厳しいことで知られています。私は上座部仏教の思想や上座部仏教徒の考え方について研究しています。博士課程までは自殺・自死といった生命倫理に対する仏教観を研究していました。私は実際にミャンマーで頭を剃って尼僧として出家したこともあるのですが、新しい研究テーマとして自分が出家していたパオ仏教瞑想院1で習った瞑想方法を選びました。2018年に東南研に移ったことを機に、ミャンマーの仏教瞑想の、とくにパオ長老が提唱するパオ仏教瞑想をテーマとして研究に取り組んでいます。

これまで研究を行っていて、文献解釈のみの仏教学と現地調査を重視する人類学との間の埋まらない溝のようなものを感じていました。たとえば、仏教思想を研究していると言っても、仏教学者はサンスクリット語や漢文で書かれた仏典を翻訳し解釈することのみに専心し、同時代に生きる東南アジアや南アジアの人々が「どのように」仏教徒として生活しているかという面にはあまり関心をもっていません。驚くかもしれませんが、インドに行ったことのない仏教学者もたくさんいます。

他方で、人類学者は遠くの土地に飛び込んで半年とか1年間、現地の人々と一緒に生活し、コミュニケーションを通して彼らがどのように仏教徒として生きているかを理解します。けれど、サンスクリット語などの仏典が書かれた語学を習得していないという理由から、仏教思想の論拠となる仏典にはアクセスできないでいます。

だからこそ、私は仏典研究と、現代の仏教徒を知るためのフィールド調査の断絶を埋めるためにも、これらの二本柱を両立して研究していきたいと考えています。私自身も上座部仏教徒であり、尼僧として出家して修行していましたので、信仰者・実践当事者という2つの立場のバランスも取っていけたらと思います。フランスの思想家のガストン・ベルジェが「どんな人であっても人は必ず一つの宗教に帰依しなければならない。しかしその一つを選んだのは、他の宗教より優れているという理由からではない」と言っています。宗教者としては、私は仏教を選んだけれど、だからといってキリスト教徒やイスラーム教徒の信仰のあり方を軽蔑してはいけないと思っています。

研究面では、上座部仏教の僧たちは、自分たちの仏教こそがもっともブッダの思想を伝えていると自負するし、瞑想法の指導者たちもです。けれど、2500年前に生まれたブッダが実際に何を説いていたかを確かめることなど不可能です。ですので上座部仏教の僧たちが自分たちの仏教こそが正統と主張することは間違っているのですけど、ただ間違っていると批判するのではなく、なぜそう考えるようになったのかという経緯を、歴史や実践者たちの体験を通じて紐解いていきたいです。

尼僧スナンダ時代の私。午後からの食事、メイク、歌やダンスをしてはいけないという戒律を守っていました。

{ Q2 }

研究の道に進むきっかけや、
今のご研究に至った経緯について教えてください。

実は、私は研究者になる前はミュージシャンでした。大学では仏教を専攻していましたが、卒業後は音楽講師として働き、国内外でコンサートをしたりラジオや映像作品に出演していました。でも、ある日、書店で上座部仏教の本を手に取ったとき「ああ、自分は大学で仏教を学んでいたのに、気づいたらずいぶん遠くに来てしまった。また仏教を学びたいな」と関心が再燃したのです。上座部仏教の教えや瞑想法はシンプルかつ段階的で、禅や密教のような抽象的な難解さがありませんでした。分かりやすくどんどんのめり込むうちに、仏教を「週末の余暇」のように位置づける日々に満足できなくて、24時間365日どっぷり仏教に浸かる生活、つまり仏道を歩みたいと思うようになりました。そんなとき、奇遇にもミャンマーの仏教大学の存在を教えてもらい、受験して無事に入学したのが2008年7月でした。3年間勉強して学部を卒業するのですが、当初は研究者になりたいという動機は1ミリもなくて、ただ「善い人になりたい」という思いだけでした。ミャンマーの学部3年目のとき、タイの国連主催のウェーサクという仏教の祭典かつ国際学会に、たまたま論文を応募したら採用され発表することになりました。でも実は、仲良しのミャンマー人尼僧さんが一度も外国に行ったことがないので、同行させて連れて行ってあげたいなという動機からでした。

その学会で初めて「仏教と自殺」という研究論文を発表しました。予想以上にフィードバックをいただき、学会会場であったマハチュラロンコンというこれまたタイの国立仏教大学があるのですが、その大学院の修士課程に進学することもその場で決まってしまいました。それで3週間後にはタイに引っ越しました。

白いブラウスと茶色のロンジー、ショールを身につける女性修行者

{ Q3 }

研究で出会った印象的なひと、もの、
場所について、エピソードを教えてください。

恥ずかしいのですが、私は何の予備知識もなく一言もミャンマー語を話せない状態でミャンマーに渡りました。「どうもありがとう」(チェーズーティンバーデー)すら長すぎるので、後半の「ティンバーデー」だけを覚えて、最初の3ヶ月間はスーパーでおつりを受け取ったときやタクシーから降りるときに、元気よく「ティンバーデー!」と返していました。

ミャンマーに留学して3年目に、そんな笑い話を知り合いのミャンマー人男性に伝えたら「『ティンバーデー』だけだと違う意味になるよ」と含みのある笑いを返されたのでイヤな予感がして、帰宅後、おそるおそる辞書で調べると……「妊娠している」という意味だったんです! 私はそんなことを町中のあちこちで叫んでいたのかと思うと、もう恥ずかしくて穴があったら入りたかったです!

{ Q4 }

特に影響を受けたものや本を教えてください。

研究者になってからは本を参考文献として読んでしまうので、心から感動することが少なくなったことが残念です。なので無人島に持って行きたいような本は、若い頃に読んだものばかりかもしれません。振付家・演出家のモーリス・ベジャールは『他者の人生の中での一瞬』2と『誰の人生か?』3の2冊の自伝を著していて、どちらもボロボロになるまで読み返しました。自身の心の中でうごめく感情やイメージの連鎖から作品ができあがる過程は、今自分が身を置いている学術研究とはまさに正反対のアプローチなのです。けれど、だからこそ、違う刺激を受けることが大切だと思っています。

映画なら溝口健二が好きです。日本の古典映画の黄金期の監督としては、小津安二郎や黒澤明の方が世界的に有名かもしれませんが、私は京都人のせいか(?)、溝口の雅で美しい世界観が好きです。『雨月物語』や『祇園の姉妹』は何度も観ました。ハリウッド映画にはない繊細さや情緒を感じることができます。

{ Q5 }

理想の研究者像を教えていただけますか。

研究対象に対して、感情を交えずに冷徹に分析対象とだけ見る研究者もいらっしゃいます。それを否定しませんが、私の研究対象はミャンマー人の瞑想者たちや、自殺防止活動に取り組む僧や彼らに自殺相談をした人たちです。生きている人が相手ですので、愛情と尊敬をもって彼らを見つめていたいです。そういう眼差しの温かさが著作を通して生き生き伝わる研究者は、宗教学者のジャスティン・マクダニエル4です。

あと、現在所属している東南アジア地域研究研究所の速水洋子先生も、あんなに多忙なのに自分の学生や研究所のスタッフへの優しい気遣いを怠らず、かつ常に冷静でいらっしゃるので、敬愛と畏怖の念をもたずにいられません5。また、研究テーマに対してワクワクする気持ちを失わないように、自分の情熱を読む人にもおすそ分けできるような論文や本を書ける研究者でありたいです6

2019年8月、パオ仏教瞑想法の創始者パオ長老についに対面できました!貴重なツーショット。

{ Q6 }

研究の成果を論文や本にまとめるまでの苦労や工夫をお聞かせください。

小説や詩などの文学と違って、研究論文は読み手に解釈をゆだねることはできません。読者が誤読しないように、自分の論旨に最も適切かつ正確な文章を書くことは一番苦労するところです。ぴったりの表現を探す作業は、宝石を見つけるためにどんよりした水の中を潜っているような気持ちになります。

{ Q7 }

調査や執筆のおとも、マストギア、
なくてはならないものについて教えてください。

私がミャンマーに行くときは瞑想センターで一緒に瞑想修行します。ミャンマーでは女性修行者は白いブラウスと茶色のロンジー(巻きスカート)とショールを着けます。この3点セット(三種の神器)がマストギアです!

ちなみに修行中は八戒の戒律を守るため、化粧はできません。なので私の写真は完全スッピンで眉毛も半分しかありませんけど、笑わないでくださいね!

2018年8月、ミャンマーのピンウールウィンにあるパオ瞑想センターにて。ミャンマーの女性が瞑想修行するときと同じ服装の、白いブラウス・茶色のショール・茶色のロンジー(巻きスカート)で揃えています!

{ Q8 }

若者におすすめの本についてコメントをいただけますか。

現代の日本人は、若いときから欧米の文化がスタンダード、もっと言えばクールだと思って育ちます。日本の伝統文化や伝統宗教にも関心が薄く、関心を持つことはクールではないと思っているかもしれません。でも、私は鈴木大拙の著書や溝口健二、小津安二郎の映画に触れたとき、日本の素晴らしさを知ることができましたし、日本人であることを初めて誇りに思えました。鈴木大拙の本はどれもお薦めですが、入門書として『禅と日本文化』と『日本的霊性』の2冊を紹介します。

最近読んで面白かった本としては、加村一馬著『洞窟オジさん』があります。13歳で家出して43年間、洞窟や山の中でサバイバル生活をし続けた加村さんの体験記です。最初の2年間ほどは愛犬シロと暮らしていたのですが、シロが死んでしまったことで、山を下りる決心をします。年をとって文明社会に戻った加村さんですが、「おれはさ、寒さ、暑さは慣れているし、腹が減るのは我慢ができる。だけども寂しさだけはいつまでもまとわりついてくることを身をもって知っている。だからシロが死んだときの寂しさ、そしてひとりぼっちになってしまう寂しさはもう二度と味わいたくない……」と回想する台詞が胸に突き刺さりました。

人間が生きる以上、誰かとの温かいつながりは不可欠なのだと痛感します。私は長年、日本の自殺問題を研究していますが、貧しさなどの経済的な問題は自殺の第一理由ではないことが分かります。仕事もマイホームも車もあり家族もいるのに自殺する人がいるからです。誰も自分を理解してくれない、自分の話を聞いてくれないという「孤独」こそが人に生きる意味を失わせる元凶であることが分かります。

鈴木大拙著、北川桃雄訳『禅と日本文化:対訳』
(講談社インターナショナル、2005年)
鈴木大拙著、篠田英雄校訂
『日本的霊性』
(岩波文庫、1972年)
加村一馬著
『洞窟オジさん』
(小学館文庫、2015年)

{ Q9 }

これから研究者になろうとする人にひとことお願いします。

冷静な頭脳と熱いハートの両方を兼ね備えた研究者になってください! そして、失敗することや痛い思いをすることを怖がらないでいただきたいです。失敗から新しい発見が生まれることは多々あります。だから後から振り返ると「あの時あの経験をしておいてよかった」と思える日がやってきます。自分にも他人にもセカンドチャンスを与えてあげてくださいね。

{ Q10 }

これからの野望をお聞かせください。

速水先生にも薦められたのですが、私の仏教観を集大成した「川本仏教」を完成することです! でも、これは大きすぎる野望なので、現実的に数年以内に実現したい野望は、これまでの「仏教と自殺」と、現在進行中の「ミャンマーのパオ仏教瞑想」の研究成果を本として出版することです。この2つだけは自分しかできないし、この2つの成果を書籍化できたら、もう人生に思い残すことはないと思っています。本気。

1. パオ(パーアゥッ)長老は1934年ミャンマー北西部エーヤワディー地域に生まれる。正式な出家名はウー・アーチンナであったが、1981年にパオ瞑想寺院の二代目住職に着任して以降、パオ長老と呼ばれる。海外に積極的な瞑想指導を続け、日本にも来日したことがある。現在、本山のモーラミャインには国内外から約1000人が修行している。

2. モーリス・ベジャール、前田允訳『他者の人生の中での一瞬』劇書房、1982年。

3. モーリス・ベジャール、前田允訳『誰の人生か?』劇書房、1999年。

4. おすすめの著作として、以下があります。Justin Thomas McDaniel, The Lovelorn Ghost and the Magical Monk: Practicing Buddhism in Modern Thailand (恋煩いの幽霊と魔術的な高僧─現代タイの仏教実践), Columbia University Press, 2011.
http://cup.columbia.edu/book/the-lovelorn-ghost-and-the-magical-monk/9780231153775

5. 速水先生の著作の中でおすすめしたいのはこちら。速水洋子「仏塔建立と聖者のカリスマ─タイ・ミャンマー国境域における宗教運動」『東南アジア研究』53巻1号、68-99頁、2015年。
https://doi.org/10.20495/tak.53.1_68

6. これまでに書いたものの中で1つあげるとすれば、こちらの論文をご覧ください。Kanae Kawamoto, ‟Love Incessantly Flows: Mae Naak, a New Asian Opera Heroine Born out of a Thai Buddhist Narrative (愛はめぐり続ける─メーナーク、タイ仏教説話から生まれたアジア人の新オペラ・ヒロイン),” Contemporary Buddhism: An Interdisciplinary Journal, Volume 18, Issue 2, pp. 346-363, 2017.
https://researchmap.jp/KanaeKawamoto/published_papers/18860441

参考

京都大学アカデミックデイズ2021ミャンマーの仏教瞑想について
https://research.kyoto-u.ac.jp/academic-day/a2021/a2021-p008/
スタッフ紹介 川本佳苗
https://kyoto.cseas.kyoto-u.ac.jp/staff/kawamoto-kanae/

東南アジア地域研究研究所 連携講師

川本 佳苗