精霊に捕まって…ここにいる – CSEAS Newsletter

精霊に捕まって…ここにいる

Newsletter No.81 2023-08-09

ヌルル・フダ・モハメド・ラジフ(Nurul Huda Mohd. Razif)
(社会人類学)

日本学術振興会特別研究員(PD)として東南アジア地域研究研究所(CSEAS)の一員となり、1年半がたちました。CSEASでは、過去10年の間にマレーシアで収集した一夫多妻婚1)に関する民族誌資料をもとに、妻たちが夫の(たいていは十分でない)財産や愛情を独占しようとして、妖術や黒魔術、マレー語で〈シヒル(sihir)〉という超自然的な手段にどのように頼ってきたかを研究しています。私のそれまでの研究では、裕福でない男性がより多くの女性と結婚することを可能にする、マレーシアのイスラーム家族法に基づく家父長制的な傾向を検討してきました。そこでは一夫多妻婚において、夫の限られた資産が、いかにしばしば女性や子供への感情的、金銭的ネグレクトをもたらすか、そして家族の、さらには社会全体の破壊をもたらすかを示しました。しかし、マレー人一夫多妻家庭の不安定で変化しやすい家庭内関係において、他にはどのような(世俗的な)力が働いているのでしょうか。マレー人は、精霊や薬や不可解な病気をめぐる語りによって、自分たちの家庭生活や運不運をどのように意味づけているのでしょうか。

私が超自然的なものに関心を持ち始めたきっかけは、西オーストラリア州パースにある西オーストラリア大学で人類学を学んだ学部生時代へと遡ることができるかもしれません。人類学者の卵として修業をはじめたこの時期に医療人類学の講座を履修したのですが、そこでアン・ファディマンのThe Spirit Catches You and You Fall Down: A Hmong Child, Her American Doctors, and the Collision of Two Cultures(1997年、邦訳は『精霊に捕まって倒れる─医療者とモン族の患者、二つの文化の衝突』忠平美幸・齋藤慎子訳、江口重幸解説、みすず書房、2021年)を読むことを課されました。本書で著者は、アメリカに渡ったモン族の難民一家が、娘のリアを致命的なてんかん発作から救い出すため、西洋医学とモン族の伝統という二つのまったく異なる文化システムのなかで奮闘する姿を描いています。医師たちは、リアがレノックス・ガストー症候群として知られる重いてんかんを患っていると考えました。一方、両親は彼女の発作を、モン語で〈カウダペ(quab dab peg)〉─てんかん様の病いのことで、直訳すると「精霊に捕まって倒れる」─と見立てました。この病いは魂が身体から抜け出ることによって生じると信じられていて、それを元に戻すのはシャーマンの仕事とされていました。モン族の人々にとって、リアの病いは彼女が精霊を宿す特別な存在であることの証しでした。彼らはこの病いが命に関わる危険なものと知っていましたが、てんかん発作はまた、癒しの精霊が身体に入る瞬間でもあり、それによってその人にシャーマンの力が宿り、コミュニティに大きな貢献ができるようになると考えられていたのです。

私は本書を読み、そこに描かれた文化の衝突にふれたことで、時に一致し、時には対立しつつ互いに共存しうる複数の世界観について真剣に考えるようになりました。アン・ファディマンの作品に触発され、私はマレーシアで耳にした妖術の話について研究するために医療人類学のめがねをかけ、それがこの講座の修了論文の主題となりました。論文では、ある現象や身体疾患が医学によって完全に妥当に説明できるものであるとしても、それがマレー人によって、超自然的あるいは霊的な原因をもつものとしてどのように解釈されているかを考察しました。例えばある人の咳が止まらないのは呼吸器疾患の徴候となりますが、同時に「汚れたもの」、マレー語で〈ベンダ・コト(benda kotor)〉─つまり魔術や呪いをかけられた食物をとった結果でもありうるのです。

ですから、アン・ファディマンの著書は私にとってさまざまな意味でよりどころとなる本でした。私は人類学という学問を身につけることで、マレー人ムスリム女性としての私自身の偏見や宗教文化的信念を分析できることを学び、その後ケンブリッジで、マレー人の一夫多妻に関する博士論文を書くことになりました。ここ鴨川沿いで超自然的なものsupernatural追究するpursueという知的発見の旅をしているのも、そのスピリットを受け継ぐものなのです(しゃれでごめんなさい)。

注:
1)一夫多妻とは、一人の男性が二人以上の女性と同時に婚姻関係を結ぶ複婚の一形態である。

(イラスト:Atelier Epocha(アトリエ エポカ))

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“The Spirit Catches You and… You Go Where It Takes You”
by Nurul Huda Mohd. Razif