著者からの紹介
インドネシアでは1998年の民主化以降、メディアの自由化に伴って映画制作が活況を呈するようになり、映画は社会の課題や人々の希望が映されるメディアになりました。本書は、家族主義(父の権威)、宗教と暴力、歴史認識といった国民的課題が映画にどのように映されてきたかを読み解くことを通じて、この20年あまりのインドネシアの人びとの日々の挑戦の足跡をたどるものです。1990年代半ばにインドネシア研究を志し、1998年政変前後のインドネシアを現地で見ていた当時の若者の一人として、インドネシア社会でこの間に変わったもの変わっていないものを記録しておきたいという思いもありました。
コロナ禍を経て、アジア理解を深める手がかりとしての映像の重要性が増し、日本にいながらにして視聴できる作品も増えています。映像は統制をかいくぐって様々なメッセージを発信しうるメディアでもあります。作品そのものへの理解とともに、映像の背後にある社会や歴史の背景、そして作品が人々の日々の闘争の延長上にあることについての理解を深める手がかりに本書がなれば嬉しいです。
目次
本書に登場する映画の舞台①〈インドネシア、東ティモール〉
本書に登場する映画の舞台②〈世界〉
■第1部 序論 インドネシアの夢と願いを映画にみる──1998年政変以降を中心に
○理想と現実が同居し、希望と若さがあふれる国の映画
○現実と虚構、異なる場を越境するメディアとしての映画
●第1章 多彩なインドネシアを構成する民族と言語、風土と社会
○ジャカルタ、ジャワ、地方──三地域の特徴と世界観
○民族と言語の独自性が集い織りなすインドネシア
●第2章 インドネシア映画史── 1926年~1998年
○独立後──国民映画の制作開始とスカルノによる未完の革命
○スハルト時代──映画産業の発展と国産映画の危機
○強権的統治の進展と映画による挑戦の萌芽── 1970~1990年代
●第3章 新生インドネシアの三つの挑戦を映画にみる
○権威に頼らず社会をまとめる──政府(父)-国民(子)関係の再構築
○世界、国内、個人の三層でいかに多様な信仰を実践するか
○国難の犠牲者を忘却から掘り起こし、国民として共有する
■第2部 父をめぐる国民の物語の模索──映画にみるインドネシアの家族像
●第1章 父という厄介者を描く── 1998年スハルト退陣とリリ・リザ監督……『クルドサック』、『ビューティフル・デイズ』、『GIE』、『虹の兵士たち』
○頼りにならない父親たち──『クルドサック』(1998年)
○父のふるまいがもたらす別れ──『ビューティフル・デイズ』(2002年)
○成長しても父になれない──『GIE』(2005年)
○父なしで逞しく育ち、夢を追う──『虹の兵士たち』(2008年)
●第2章 家族から父を消してみる──ニア・ディナタ監督の女家長による家づくり……『分かち合う愛』、『三人姉妹(2016年版)』、『窓』
○父をめぐる競合から抜ける──『分かち合う愛』(2006年)
○女たちが家をまとめる──『三人姉妹』(2016年)
○父を支えるのをやめる──『窓』(2016年)
●第3章 父亡きあとに父を受け入れ自立を目指す──三つの映画にみる父との向き合い方……『珈琲哲學~恋と人生の味わい方』、『再会の時~ビューティフル・デイズ2』、『魔の一一分』
○成長して父の思いを理解し自立する──『珈琲哲學~恋と人生の味わい方』(2015年)
○父の死後に自分を取り戻す──『再会の時』(2016年)
○完璧な父を目指すことをやめる─『魔の一一分』(2017年)
●第4章 支えられ、やり直して父になる──ドラマと家族のリメイクにみる家族像の再編……『ドゥル』、『チュマラの家族』
○「よき子」は「よき父」になれるか──『ドゥル』三部作(2018-2020年)
○弱い父を励まし支える家族──『チュマラの家族』(2019年)
■第3部 信仰と規範、社会秩序の問い直し──呪縛と闘うインドネシア映画
●第1章 信仰が生む暴力と向き合う──バリ島爆弾テロ事件と宗教の不寛容……『楽園への長き道』、『愛の逸脱』
○テロを支える「善良なムスリム」と外部の敵意──『楽園への長き道』(2006年)
○浮かび上がる「逸脱を正す」という名の暴力──『愛の逸脱』(2017年)
●第2章 信仰実践を世界に発信する──インドネシアは世界の手本になるか……『愛の章』、『欧州に輝く九九の光』、『望まれざる天国』
○ジレンマを克服したインドネシア発のイスラム映画──『愛の章』(2008年)
○世界に「インドネシアのイスラム教」の道を説く──『欧州に輝く九九の光』(2013年)
○成長し自己を確立するムスリム女性──『望まれざる天国』(2015年)
●第3章 信仰のなかで生きる女の幸せを考える──ジャワ農村の束縛からどう逃れるか……『ターバンを巻いた女』、『愛が祝福されるとき』、『カルティニ』、『ジルバブ・トラベラー』
○男社会という監獄のなかで自由を求めて闘う──『ターバンを巻いた女』(2009年)
○学問を究めて男社会を支える──『愛が祝福されるとき』(2009年)
○超えられないジャワ娘の理想像──『カルティニ』(2017年)
○等身大のムスリム女性の立身出世──『ジルバブ・トラベラー』(2016年)
●第4章 秩序を回復し家族を守る女を描く─闘う女たちのホラーと活劇……『スザンナ──墓の中で息をする』、『マルリナの明日』
○「化ける女」の物語を読み替える──『スザンナ─墓の中で息をする』(2018年)
○男たちによる非道の犠牲者に新たな生き方を示す──『マルリナの明日』(2017年)
■第4部 国民的悲劇を語り直し乗り越える──想像と連帯を促す映画の力
●第1章 「国民的悲劇」に向き合う──九月三〇日事件と「共産主義者狩り」の語り直し……『紅いランタン』、『アクト・オブ・キリング』、『フォックストロット・シックス』
○犠牲者の幽霊が求める真相の究明──『紅いランタン』(2006年)
○海外の視角が晒した虐殺の加害者の姿──『アクト・オブ・キリング』(2012年)
○SFアクションに仮託された語り直しの呼びかけ──『フォックストロット・シックス』(2019年)
●第2章 失踪と別離に寄り添う──革命と政変が招いた溝の深さ……『プラハからの手紙』、『他者の言葉の物語』、『ソロの孤独』、『サイエンス・オブ・フィクションズ』
○取り戻せない五〇年という時間──『プラハからの手紙』(2016年)
○再会を待ち続けた気持ちこそ真実──『他者の言葉の物語』(2016年)
○恐怖を誰とも共有できない孤独を描く──『ソロの孤独』(2016年)
○人はみな真実と虚構を伝えるメディア──『サイエンス・オブ・フィクションズ』(2019年)
●第3章 「受難の生」を受け止め生きる──インド洋津波と東ティモール紛争は国民的悲劇になるか……『デリサのお祈り』、『バスは夜を走る』、『ベアトリスの戦争』
○健気に祈る津波孤児への共感──『デリサのお祈り』(2011年)
○紛争はすべての人にとっての災い──『バスは夜を走る』(2017年)
○悲劇をいかに受容して生きるか──東ティモール映画の変遷と『ベアトリスの戦争』(2013年)
■おわりに
■資料
●監督紹介 映画でインドネシアの語り直しに取り組む15人
●インドネシア映画研究ガイド 映画からインドネシア社会を読み解く10冊
●インドネシア映画関連年譜
●観客動員数が100万人を超えたインドネシア映画(1999年~2019年)
■あとがき
■参考・参照文献一覧
著者情報
関連情報
西芳実著『夢みるインドネシア映画の挑戦』が最新の研究成果として本学ウェブサイトにて紹介されました(2022.01.05)