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Interview with リチャードマクドナルド


スマートシティの外側で 


ご研究について教えてください。

私の研究は、技術社会への参加という問題に関するものです。この大きな問題に迫るために、タイにおけるスマートシティ化構想に関して、さらに最近では、英国における高速鉄道建設をめぐる議論に関して民族誌的研究を進めています。

都市におけるさまざまな問題を解決する政策枠組みとしてASEANやEUが推進するスマートシティ構想に、数年前より関心をもつようになりました。スマートシティ構想とは、広い意味では移動や物流、生産加工をユビキタスコンピューティングで効率的に管理できるような、データの収集・活用を軸とした理想的な都市を具体化したものです。スマートシティに関する従来の研究の多くは、ごく少数の標準的・象徴的でありながらも型破りな不動産開発を対象としていました。私はむしろ、他のスマートシティ研究者らが言う「現に存在するスマートシティ」に関心がありました。以前、タイの野外映画会の儀礼経済に関する研究プロジェクトで、タイ東北部のコーンケーン市に滞在したことがありました。コーンケーンを再訪すると、スマートシティ化にこれ見よがしに多額の投資がなされていました。これは最近地元で設立された民間の開発企業による事業ですが、長期ビジョン「タイランド4.0」に基づく国のデジタル経済プログラムに支えられています。私は必要に迫られ急遽1年ほど現地で集中的に民族誌的調査を行い、スマートシティ化の意味や魅力、現場で起こっていることを理解しようとしました。調査を進めるなかで、スマートシティを、世界で実用化される具体的な技術という観点から考えるのではなく、人を魅了する地平として願望を方向づけ、未来について語り、未来を想像する方法として考えるようになりました。スマートシティをこのように捉えることで、コーンケーンでスマートシティを推進する都市ネットワーク形成という起業家の夢を、他の可能性、社会的・政治的変革の可能性が無期限に先送りされるようなより広範な文脈に位置づけるようになりました。

新型コロナウイルス感染症のパンデミックから1年ほどは移動がままならず、多くの研究者は身近な問題とのかかわりをあらためて求められました。私の場合、パンデミックに加え、気候変動対策の緊急性から航空機の利用を控えるべきだという思いもあって、地理的により近い問題を研究対象にしようと考えました。そこから高速鉄道をめぐる議論への関心が生まれました。その鉄道のトンネルは私の家からそう遠くないところを通る予定で、建設現場に自転車で行けるんです!

研究テーマはいくつありますか?

たくさんあります! 私の研究は映画文化の歴史研究から始まりました。「動画の考古学」という授業を今も担当しています。映像の制作と技術を批判的・歴史的観点から探ろうとするものです。その土地固有の記憶の実践と都市の変化について書いた論文もあります。非公式の学習や独学を支える(歴史的)インフラである公共図書館や生涯教育、公共放送への関心は尽きません。これらのテーマはどれも盛んに議論されていて、新たな研究が期待されていると思います。

これらのテーマに通底する要素が当時の私には必ずしも見えていませんでした。今にして思えば、専門家(および彼らの専門知と権威の形態)と専門家でない人たちとの緊張関係、言葉を換えれば、体系化・制度化された知識と状況に埋め込まれた知識(または経験的知識)の階層関係や非対称性、摩擦の考察に繰り返し引き寄せられたのでしょう。

研究テーマを面白いと思ったのはなぜですか?

スマートシティ化は新たな常識として市民に提示されました。資源が不足するなか、効率的な都市運営を可能とする説得力ある政策として示されました。私は面白いと思うと同時に、誰のためのスマートシティかを問う必要性を感じました。スマートシティの恩恵を最も受けるのは誰か。この将来ビジョンで力を手にするのは誰か。もちろん、他の多くの研究者も同様の批判的問いを投げかけています。一人だけの問いかけでは意味をなしません。しかしながらタイでは、私の見るところ、スマートシティ化というテクノクラート主導のビジョンは、特に、起業家中心のローカリズムが強まるなかで進められる場合、地域住民の誇りやアイデンティティ意識にはいりこみ、かなり無批判に評価されていました。

革新的な地理学者ドリーン・マッシーが、空間とは「複数のものが同時に存在する(contemporaneous plurality)領域だと述べていたことが思い出されます。複数のものが存在するのは、空間が多様な相互作用で構成されているからであり、それはつまり、空間はつねに構成の過程にあり、つねに未完であることを意味します。私は研究者として、ここで同時に何が起こっているのかと問わざるを得ません。この空間に対する理解をどうすれば多様化できるのでしょう。この場合、抑えつけられ、その声に耳を傾けてもらおうともがいている別の未来、別の集合的行動とはどのようなものでしょうか?

研究の道に進むきっかけや、今のご研究に至った経緯について教えてください。

私はかなりの年齢になってから高等教育に進みました。学ぶことに貪欲でした。まず人類学を学び、次いでカルチュラル・スタディーズに進み、世界と世界の中の自分の場所をより体系的・批判的に考察する手法を知りました。研究の道をさらに歩みたいと思い、博士号を目指してアマチュア映画クラブの歴史を研究しました。当時、私は大の映画ファンで、映画文化の制度化を研究対象にすることにしました。なぜかというと、今にして思うのですが、映画好きだったがゆえに、正式な教育機関がなくても独学、非公式な自発的学びのしっかりした枠組みができていたのでしょう。その後、私の関心は映画と映画批評から次第に離れ、現代の都市生活の技術インフラといかに共存するかを考えるようになりました。ともかく新しいことを学びたかったし、それらを現代生活の活力につなげたかったのです。

研究の成果を論文や本にまとめるまでの苦労や工夫をお聞かせください。

執筆にはいつも苦労しています。加えて、査読に耐える研究、つまり、特定の学術誌に掲載される研究成果を求める制度的要求と、個人の創造的関心や倫理的動機を折り合わせることは必ずしも容易ではありません。私が高く評価する著作は繰り返し読まれ、専門用語は使わず、専門分野外の人にも読んでもらえるものです。ある分野の狭い領域を超えて読み手の心に響くように書きたいといつも思っていますが、そうできているか自信はありません。  

影響を受けた本や人物について教えてください。

学校に不満だらけで反抗的だった17歳の時、イヴァン・イリイチの『脱学校の社会』を読みました。すぐに登校するのをやめてしまい、そのため卒業試験に落ちました。それがよかったのか悪かったのか今でもよくわかりません。いずれにせよ、学問制度になんらかの違和感をもち、そこで生まれる教育資本に懐疑的で、社会規範に順応しない人物や思想家につねに惹かれてきました。

理想の研究者像とは?

理想像はないですね。それに、学問の世界に足場を築きたい駆け出しの研究者に対する要求が年々非現実的で不合理なものになっており、研究や研究者の理想像を描くことが役に立つとは思いません。私が称賛する研究者は自分の道を歩んでいます。流行を追いかけるのではなく、自分のリズムで踊っているのです。つまり、自分の問題意識に沿って仕事をしています。時間をかけて研究する勇気、ピアレビューの一般的な判断基準にあらがう勇気を備えています。倫理的価値観に反さず、政治的な関わりのもとで調査を行います。何よりもまず人の話に耳を傾け、社会的な境界を越えながらも自分の社会的立場を忘れることはありません。自分の研究を他者に率直に伝えようとします。自分の失敗を隠さずに振り返り、失敗から学んでいます。特定の関心分野に関係するより大きな力について難なく明確にすることができます。

イタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシは、知的な探求を行う能力、世界と世界の中の自分の場所を批判的に理解する能力は誰にでもあると主張しました。研究や知的な生活を職業としての研究者に限定してはいけないのです。おそらく理想的な世界では、大学は生涯学習のための空間となり、生涯にわたって、すべての人を対象として、批判的な能力を養う場としての役割を果たすでしょう。大学は専門的知識を生み出す拠点として、社会運動、コミュニティ団体、労働組合の研究者・教育者と強固な相互関係を築くことでしょう。

調査や執筆のおとも、マストギア、なくてはならないものについて教えてください。

ノートパソコン、汎用プラグアダプター、ボイスレコーダー、大量のメモ帳とペン類。それから、無料で使える文献管理ソフト「Zotero」も不可欠です。

研究者を目指す人へメッセージをお願いします。

ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジでは雇用削減に抗議する横断幕が掲げられた

私のイギリスの職場には、研究したい人、博士論文を書きたい人が助言を求めてよくやってきます。当然ながら、博士号を目指し、研究者として歩んでいこうと考えれば、かなりの目標と願望が明確になるでしょう。研究の自律性、研究の価値や意義、知的生活と独自の研究の追求、創造的・知的に成長する機会などです。多くの人は日々の仕事でこれらを得られていないので、その願望は強く、意欲も高くなります。たしかに研究職に就けば、こうした目標をいくつか実現できるかもしれません。しかしイギリスの高等教育は長らく危機的状況にあり、しかも状況は深刻化しています。その要因としては慢性的な資金不足、市場経済化、大学の自治・独立性の長期的衰退が絡んでいます。研究者の給与は大幅に減り、年金も減額されています。特に芸術・人文科学分野では、私が所属する大学をはじめ、国中の大学で学部・学科の廃止が続いています。こうした状況で多数の友人、すぐれた研究者、教員が短期契約で不安定な雇用状況に置かれ、この分野の正規雇用者は年々減少しています。7000人の大学教職員を対象とした最近の調査によると、回答者の3分の2が離職を考えています。イギリスでは現在、博士課程で助成金を受けている大学院の研究者たちが、その金額では貧困ライン以下の生活になることに抗議しています。こうした状況で博士号を取り、研究者になることは勝算がきわめて低い大ばくちを打つようなものです。研究者になりたいという思いは認め、尊重しますが、よく考えるようにと言わざるを得ません。とはいえ、正規の研究機関や研究職はさておき、調査研究への意欲を高めることは豊かな暮らしに不可欠な要素であることは間違いありません。

(2022年7月)

リチャード・マクドナルド
東南アジア地域研究研究所 招へい外国人学者
在籍期間 2022年6月-8月