香港大学助教 テラ・トゥン

現在のプロジェクト:1850年代から1970年代にかけてのカンボジアのテキスト、歴史、知識人

2019年8月より京都大学東南アジア地域研究研究所にポスドク研究員として着任している。 “ポンサーヴァダー”と呼ばれるカンボジアの年代期を取り扱った博士論文を基にして現在、フランス植民地期に歴史語りがどのように進化・多様化したのかについての単著刊行を進めている。ちなみに2019年にシンガポール国立大学に提出した博士論文は、王賡武賞[1]を受賞した。さらに2016年と2017年に香港で開催された2つの大学院生向けの国際会議で発表した各原稿は、「最優秀論文賞」と「最優秀発表賞」を受賞した。博士論文の1章は、Journal of Southeast Asian Studiesに論文として掲載された[2]

私が現在執筆中の単著は、西洋の植民地的影響との出遭いによって、カンボジアをはじめとする東南アジア各地域で、植民地化される以前の年代記や過去に対する認識と、植民地時代に編纂された歴史書の過去に対する認識との間には、認識論的インターフェースと呼ぶべき重要な時期が存在したことを示している。植民地政府が導入した新たな印刷技術によって、長年受け継がれてきた年代記や写本文化がこのインターフェースの時期に衰退し、変容した。。また、ローカルな学者たちの間で、新しい歴史の描き方や新しいジャンルの文章が生み出された。彼らは、西洋の歴史学に競合する概念を生み出し、その結果、植民地時代やポスト植民地時代におけるカンボジア社会の民族主義的思想や集団文化を形成することになった。

私の研究は、修道院や宮殿に保管されている年代記や写本を集め、植民地化以前から独立後(1850年代〜1970年代)にかけての年代期や写本の意義の変化を考察している。東南アジア、ヨーロッパ、北米における史料収集を通じて、18世紀から20世紀前半に出版された20点以上のカンボジアに関する写本をこれまで収集した。このコレクションは、東南アジア研究において最も多い、かつオリジナルな史料集となっている。これらの写本と、フランス語、カンボジア語、タイ語で書かれた歴史書、雑誌、小説など、さまざまな印刷物のテキストとの比較検討を行っている。また、植民地支配を戦略的に活用した国家機関や宮廷天文学者、翻訳家、仏教僧などのローカルな知識人の役割についても考察している。そうした知識人は今日のカンボジア社会に大きな影響を与えているような新しい社会的・文化的価値を生み出した。

以上をまとめると、これらのテキスト分析を通じて、私が執筆中の単著が目指しているのは、第一に、植民地化以前の年代記研究の変容と、この変容が植民地時代および独立後の集合的記憶と文化に与えた多大な影響について考察するための道を開くことである。第二に、植民地主義の影響を知的に利用し、新しい社会的・文化的・政治的価値を再生産したローカルな知識人やアクターの役割に光を当てることである。第三に、テキストや画像の大量生産という機能とは別に、印刷の役割についてより批判的に考察するための新たな地平を切り開くことである。すなわち印刷が世俗的なテキストの強化を促進したことを明らかにすることである。なぜなら印刷技術の出現は、物理的な形態のテキスト、すなわち年代記が大衆に伝えていた精神的な意味や力を衰退させることにつながったからである。このように重要でありながらも、依然として研究されていない課題取り上げることによって、本研究は、植民地時代および独立後の東南アジア社会と西洋の間のテキスト文化および異文化・知的交流の理解に貢献するものである。

テラ・トゥン
(香港大学助教、CSEAS相関地域研究部門・元特定研究員 在籍期間2019年8月-2022年3月)

(翻訳: 京都大学東南アジア地域研究研究所 芹澤隆道)


[1] 自然科学、人文社会科学の二つの分野で、シンガポール国立大学に提出された各年度内の最も優れた博士論文に贈られる賞。

[2] Thun, Theara. 2020. “The epistemological shift from palace chronicles to scholarly Khmer historiography under French colonial rule”. Journal of Southeast Asian Studies 51 (1-2): 132–153.
doi:10.1017/S0022463420000235.