Li, Victor
VISITOR’S VOICE
Visitor’s Voiceは東南アジア地域研究研究所に滞在しているフェローを紹介するインタビューシリーズです。彼らの研究活動にスポットを当てながら、研究の背景にある人々やさまざまなエピソードを含めて、一問一答形式で紹介しています。
Interview
理論研究から個人史へ
01
ご研究について教えてください。
私の研究テーマは、主に文学理論、ポストコロニアル研究およびグローバリゼーション研究、大陸哲学です。これらのテーマで、グローバル化理論における空間と時間の戦略的枠組み、サバルタン研究における死の概念、また、ジャック・デリダ、エドワード・サイード、ジョルジョ・アガンベンらの思想家が今日の倫理学、政治学、美学に与えた影響の重要性を示す論文を執筆しました。私の主要な研究プロジェクトは拙著The Neo-Primitivist Turn: Critical Reflections on Alterity, Culture, and Modernity(2006年)にまとめていますが、そこでは、「プリミティブ」という概念が完全に排除されることなく、現代の言説においても、思いもよらない形や新しい理論形態でいかに再興してきたかを検証しました。理想化された「プリミティブ」概念は、他者を示す究極のしるしとして機能し続けているのです。ジャン・ボードリヤール、ジャン=フランソワ・リオタール、マリアンナ・トルゴヴニック(Marianna Torgovnick)、マーシャル・サーリンズ、ユルゲン・ハーバーマスといった、通常はプリミティブ主義に批判的とされる理論家の著作においてさえ、依然としてそれが色濃く存在していることを論証しました。また、他者性の政治と倫理、文化相対主義の問題、モダニティの変遷に関する現代の議論に、このネオ・プリミティブ主義的「転回」が関連していることを論じました。
今も文学理論や哲学に関心を持ち続けてはいますが、最近トロント大学での教員生活を引退したのをきっかけに、理論研究から個人史および伝記研究へと新たに足を踏み出しました。Southeast Asian Personalities of Chinese Descent: A Biographical Dictionary(レオ・スルヤディナータ(Leo Suryadinata)編)を読んで、祖父のリー・ブン・ティン(Li Boon Tin)がビルマ、ラングーンの華人社会の歴史と政治史において重要な役割を担っていたことを知りました。彼は、アウンサン将軍(アウンサンスーチーの父で、英国植民地支配に対するビルマ独立運動の指導者)を英国植民地当局の逮捕から逃れさせるために、ラングーンから密航させたと伝えられています。しかし、アウンサン亡命の詳細とそれを可能にしたリーの役割については、極めて謎に包まれています。本書で言及されたリーの生涯について、また第二次世界大戦後のラングーンの華人社会における彼の指導的役割について、さらに詳しく調べたいと思っています。私は子供の頃、リーのことを、優しく寛容な祖父としてしか知りませんでした。しかし今は、戦中戦後のラングーンの華人コミュニティで政治、社会、経済面において彼が果たした役割について詳しく知りたいと思うようになりました。
02
研究テーマはいくつありますか?
現在取り組んでいるテーマは2つあります。(1)学術的な研究としては、文学や哲学における理想化の過程と死の関係を理解しようとしています。物、人、文化、生命体、あらゆる物質的存在の死や消滅がいかに純粋な観念へと転化していくかを探りたいと思っています。生物や物質は、その死によって、現存するものが異を唱えることができないほど完ぺきな観念的存在になるのであり、そのような過程を「死の理想化(Necroidealism)」と名付けました。(2) もう一つのテーマは、20世紀中頃のラングーンの華人社会で祖父が果たした指導的役割を明らかにすべく進めている個人史ないし伝記研究です。
03
研究テーマを面白いと思ったのはなぜですか?
「死の理想化」の研究に興味を持ったのは、それが死や消滅を単に記憶にとどめるだけでなく、記念碑的なものに変えたいという人間の深層心理と関わっているためです。このような欲求は理解できるのですが、そこに内在する犠牲的、殉教的な論理には、いささか違和感があるのも事実です。
2つ目の研究テーマに興味を持ったのは、個人的な理由だけでなく、歴史的な意味においても興味深いと思ったからです。祖父の生涯をより深く理解することで、激動の戦争期からビルマ独立初期にかけてのラングーンの華人コミュニティの社会的、政治的、経済的な歴史についても学ぶことができるでしょう。
04
研究の道に進むきっかけや、今のご研究に至った経緯について教えてください。
「死の理想化」についての研究は、以前に発表した論文Necroidealism, or the Subaltern’s Sacrificial Death (Interventions 11:3 (2009), 275-292) で述べた考えをさらに拡張し、発展させたものです。
祖父のラングーンの華人社会での姿に興味を持ったのは、祖父がアウンサン将軍の英国植民地当局からの逃亡を助けたという話を、亡き叔母から聞いたのがきっかけでした。そして、Southeast Asian Personalities of Chinese Descentのリー・ブン・ティンの項目でもこのことに触れられており、その他にも多くの指導的役割を果たしたということが、簡潔に記されていることを知りました。優しい祖父というイメージしかなかった人物のことを、もっと知りたいという思いがさらに強くなりました。
05
研究の成果を論文や本にまとめるまでの苦労や工夫をお聞かせください。
研究成果を自分の専門分野の学術論文や書籍に纏める際に苦労したことはありません。しかし、祖父の生涯についての研究を発表することについては、これまで個人史や伝記を書いたことがないので、あまり自信がありません。私の個人的な関心が他の人の興味を引くかどうかもわかりません。しかし、私の研究が、東南アジアの社会史・政治史・経済史や民族学を専門とする研究者のお役に少しでも立てればと願っています。
06
研究で出会った印象的なひと、もの、場所について、エピソードを教えてください。
レイモンド・ウィリアムズ、エドワード・サイード、ガヤトリ・スピヴァク、フレドリック・ジェイムソン、ジャック・デリダなど、著名な思想家の講義を聴くことができたのは嬉しいことでした。彼らと個人的な交流を持ったことはありませんが。そして、個人的な出会いが必ずしも良いものであるとは限りません。以前、ランチの席でカナダ人作家マーガレット・アトウッドと隣り合わせになったことがあり、しばし楽しくおしゃべりをしました。その中で「カナダの作家とは誰を指すか」という話題が出たのですが、私が「カナダに長期間在住している外国人作家は、カナダの作家と言えるのではないか」と口にした途端、カナダ文化に強い愛着を抱くアトウッドは明らかに気分を害した様子になり、突然私から目をそらし、反対側の人と話し始めたのです。これは、私がもっと慎重に意見を伝えるべき出来事でした。
07
影響を受けた本や人物について教えてください。
ケンブリッジ大学の大学院生だった私は、博士課程で英米の近代詩を研究していました。1978年、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』が出版されました。この本から私は大きく影響を受け、研究対象を西洋近代文学からポストコロニアル研究へと転換しました。また、ジャック・デリダやジャン=リュック・ナンシーらポスト構造主義の思想家、ミシェル・フーコーやジョルジョ・アガンベンの権力と主体の形成に関する研究、そしてヴァルター・ベンヤミンの極めて刺激的な著作からも影響を受けています。
08
理想の研究者像とは?
理想的な研究者像とは、直感にとらわれず、常に違った角度から物事を捉え、既成概念にとらわれずに挑戦しようとする人です。ケネス・バークの言葉「郷に入っても、己に従え(When in Rome, do as the Greeks.)」はこのような姿勢をよく表しています。理想的な研究者はまた、批判的であると同時に楽観的でもなければなりません。1968年5月にパリで起きた五月危機の際に流行したスローガン「現実家たれ、不可能を求めよ!」を常に心に留めておくことが必要です。
09
調査や執筆のおとも、マストギア、なくてはならないものについて教えてください。
人文科学の研究者である私にとって、必要な資料はすべて図書館や特別コレクションのアーカイブで見つけることができます。これらの資料の多くは、現在ではオンラインで入手できます。ですから、必要な機材はノートパソコンと、当然のことながら、インターネットやWi-fiに簡単にアクセスできることです。しかし、時には鉛筆と紙のようなローテクな道具が必要となることもあります。ケンブリッジのキングスカレッジの図書館やオックスフォードのボドリアン図書館のように貴重資料を所蔵する図書館では、(資料がインクで汚れたり、許可なく電子化されることを防ぐために)研究者が鉛筆と紙でメモを取ることを条件に資料へのアクセスを許可することもあるからです。
10
若い人におすすめの本があれば教えてください。
人文・社会科学系の若手研究者は、マルクスやフロイトの著作にある程度触れておくべきだと思います。ポストコロニアル研究においては、エドワード・サイードの『オリエンタリズム』や『文化と帝国主義』、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』、ガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』、ディペシュ・チャクラバルティ(Dipesh Chakrabarty)のProvincializing Europeなどが必読書でしょう。
反対に、老若男女を問わず、他の研究者のみなさんから私が読むべき本を推薦していただければありがたいです。京都に来る前に、日本の文化や思想に関する本を2冊薦められました。酒井直樹著『日本思想という問題─翻訳と主体』とマリリン・アイビー(Marilyn Ivy)のDiscourses of the Vanishing: Modernity, Phantasm, Japanです。CSEASの同僚から、日本の文化や社会、哲学、政治、美学について読むべき本をさらに推薦してもらえるとたいへんうれしく思います。
11
研究者を目指す人へメッセージをお願いします。
私ができるアドバイスとしては、研究を進める中で、常に知的興奮と喜びの感情を持ち続けることが重要だということです。たとえ行き詰まったかに見えても、面白いと思ったことを追いかけるのをやめないでください。なぜなら、「行き止まり」は目的志向の観点からは失敗に見えるかもしれませんが、別の道や可能性を切り開くことによって、「もうひとつの場所」へと建設的に方向転換できるからです。つまり、行き止まりは、時として、よりエキサイティングな新しいスタート地点でもあるのです。
12
今後の抱負をお聞かせください。
40年近く学問の世界に身を置いてきて、自身の学問的な野望はほとんど達成できたと思っています。残された期間は、学会の審査や論文の締め切りに追われることなく、先に述べた2つの研究テーマのような、自分にとって興味深く、関わりの深いテーマを探求したいと思っています。
(2023年2月)
参考文献
Fanon, F. 2005. The Wretched of the Earth, translated by Richard Philcox.New York: Grove Press.(フランツ・ファノン、鈴木道彦・浦野衣子訳『地に呪われたる者』新装版、みすず書房、2015年)
Li, V. 2009. “Necroidealism, or the Subaltern’s Sacrificial Death.” Interventions 11(3): 275-292.
Said, E. W. 1979. Orientalism. New York: Vintage.(エドワード・W. サイード、今沢紀子訳『オリエンタリズム』(上・下巻)平凡社、1993年)
Said, E. W. 1994. Culture and Imperialism. New York: Vintage.(エドワード・W. サイード、大橋洋一訳『文化と帝国主義』(1・2巻)みすず書房、1998年、2001年)
Sakai, N. 1997. Translation and Subjectivity: On “Japan” and Cultural Nationalism. Minneapolis: University of Minnesota Press.(酒井直樹『日本思想という問題─翻訳と主体』岩波書店、1997年)
Spivak, G. 1988. “Can the Subaltern Speak?” In Marxism and the Interpretation of Culture, edited by Cary Nelson and Lawrence Grossberg, pp. 271-313. London: Macmillan Education.(G. C. スピヴァク、上村忠男訳『サバルタンは語ることができるか』みすず書房、1998年)
ビクター・リー(Victor Li)
元トロント大学英語学科および比較文学センター教授。著書にThe Neo-Primitivist Turn: Critical Reflections on Alterity, Culture, and Modernityがある。また、ARIEL, boundary 2, Cultural Critique, Criticism, Globalizations, Interventions, Cambridge Journal of Postcolonial Inquiryなどへの掲載論文も多数。現在は、20世紀前半にラングーンの華人社会の指導者であった祖父の伝記を執筆している。京都大学東南アジア地域研究研究所招へい外国人学者として2023年2月-7月に在籍。
Visitor’s Voiceのインタビューをお読みくださり、ありがとうございました。
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