Dror, Olga
VISITOR’S VOICE
Visitor’s Voiceは東南アジア地域研究研究所に滞在しているフェローを紹介するインタビューシリーズです。彼らの研究活動にスポットを当てながら、研究の背景にある人々やさまざまなエピソードを含めて、一問一答形式で紹介しています。
Interview with オルガ・ドロール »
テキサスA&M大学
歴史学
Interview
継続と変化、究めることの喜び
─自分自身を知るということ
01
ご研究について教えてください。
旧ソ連のレニングラードで生まれ育ち、そこで教育を受けた後、1990年に移住したイスラエルとアメリカでも教育を受けました。アメリカではコーネル大学で文学と宗教に加え、中越関係史を学びました。博士論文は、ベトナムの女神として知られ、ベトナム人の「聖母」とも呼ばれるリエウ・ハン(Lieu Hanh)王女について書きました。リエウ・ハン崇拝は16世紀に始まりましたが、私は、20世紀末までの各時代にその崇拝がどのように推移したかを調べ、一般の信奉者との関係に限らず、知識人や国家との関係も明らかにしました。この博士論文をもとに2007年に単著を出版しました。
パリの公文書館で研究していた時、イタリア人神父アドリアーノ・ディ・テクラ(Adriano di St. Thecla)による「中国人とトンキン人の信仰に関する小論─18世紀の中国と北部ベトナムにおける宗教の研究(Opusculum de Sectis apud Sinenses et Tunkinenses: A Small Treatise on the Sects among the Chinese and Tonkinese)」と題する論文を見つけました。これはベトナム人の宗教に関して現存する最初の論文で、他の物事に加えて、18世紀にテクラ神父が発見したリエウ・ハン王女とリエウ崇拝に言及しています。神父は、リエウ・ハンは娼婦だったと述べています。この論文はラテン語で書かれ、なかに中国語とベトナム語で書かれた箇所もありました。私はこれを英語に翻訳して註釈をつけ、この論文は素人が書いた著作ではなく、テーマを十分に研究した者が執筆したものであることを明らかにしようと思いました。そして、M. ベレゾフスカとの共訳書が2002年に出版されました。私がリエウ・ハンに関する博士論文を2003年に書き上げる1年前のことです。
そういうわけで私の当初の関心は有神論的宗教にありましたが、その後、関心は現代に移りました。旧ソ連は第二次世界大戦に勝利しながらも、多大な犠牲を払うことになりました。私の祖父母と両親はレニングラード包囲戦を生き延びたのですが、そのソ連出身者として、私は常に戦争における非戦闘員の観点に関心を抱いてきました。コーネル大学で、南部ベトナムの有名な作家ニャカ(Nha Ca)が書いた体験記を知りました。彼女は1968年にフエで展開されたテト攻勢での自身と他の市民の体験を、共産勢力による大虐殺を含め1969年に綴っていました。この作品はいまもベトナムで禁書になっています。私はこれを西側の読者に伝えるために英語に翻訳し、訳書はMourning Headband for Hueという書名で2014年8月に出版されました。難しい翻訳作業を行ったことに加え、私は本作品についての広範に及ぶ解説と序文も執筆し、この作品を当時の歴史的文脈に位置づけました。
私の次のプロジェクトは、この関心の延長線上にありました。私の両親は、むごい戦闘が続く中央集権的な動員社会の中、第二次世界大戦期の間に如何に成長したのか、理解を深めたいと思いました。これとは対照的に、私はアメリカで、息子のアイデンティティがきわめて個人主義的な社会で形成されていくのを目の当たりにしました。この研究は、世界各地の数知れぬ軍事紛争下で子どもはどのような状況に置かれているのかを理解するうえで、特に重要だと考えました。
こうした問題に興味をひかれた私は、研究対象を1968年のフエの非戦闘員から、究極の非戦闘員である子どもたち(7~17歳までの若者)に移しました。戦争中の南北ベトナムにおける若者のアイデンティティ形成を研究テーマとし、2018年にケンブリッジ大学出版会からMaking Two Vietnams: War and Youth Identities, 1965-1975を刊行しました。
現在の研究プロジェクトは、宗教への関心と政治文化への関心を融合させるものです。ベトナム民主共和国(北ベトナム)の初代大統領ホー・チ・ミンへの個人崇拝について研究しています。ホー崇拝は、私が先に研究した有神論的宗教に代わる政治的宗教の表れと言えます。私は最初、若い共産党員の戦争動員におけるホーの役割を検討するなかで、個人崇拝について考え始めたのですが、その後、ベトナム社会全体と国際社会に視野を広げて考察するようになりました。拙著ではホー・チ・ミン崇拝の起源を探り、ホー自身が国民の指導者としてだけでなく、「ホーおじさん」「ベトナム建国の父」としてのイメージを構築する際にどのような役割を演じたのかを明らかにしました。また、ホー・チ・ミン崇拝の動向、それに寄与した主要な人物、ホー崇拝がベトナムと世界各地で果たしたさまざまな役割と今なお果たしている役割についても論じています。
02
研究で出会った印象的なひと、もの、場所について、エピソードを教えてください。
私にとって、実際にはどの場所もどの人も影響を与えてくれる存在です。新しい経験に心を開くかどうかは自分次第です。
03
研究の成果を論文や本にまとめる際の難しさをどのように克服していますか?
そうした難しさを苦労しながらなんとか克服しています。私はいつも、自分の著作物に詰め込めるよりも多くの史資料を抱えています。私にとって助けとなるのは、ナラティブの構造を作り上げ、自分のテーゼ・議論を構築するのに、題材が私をどこに導いてくれるのかを見極めることです。
04
調査や執筆のおとも、マストギア、なくてはならないものはありますか?
あります。ユーモアと、新しい発見や新しい冒険にオープンであることです。
05
理想の研究者像と、研究者を目指す人へのアドバイスをお願いします。
研究が大好きな人だけが、研究者になるべきです。教授になりたいという理由で研究者になってはいけません。ジョブ・マーケットは不安定であり、教授職が見つかることは必ずしも保証されていません。そうしたポジションを見つけられるかどうかが研究の質によるのは確かである一方、雇用市場は賭けであり、運任せの面もあります。ですから、研究のために研究者になってください!あるテーマを研究していると、自分のなかに変化が起こり、自分自身について新しい発見があることにも気づくでしょう。
06
今後の抱負をお聞かせください。
世界中の公文書館で研究すること、人と会うこと、本を書くこと、そして何より、若い研究者がこの世界に入れるよう手助けすることです。
(2023年7月)
オルガ・ドロール(Olga Dror)
テキサスA&M大学歴史学教授。これまでに5冊の著書と多数の論文を執筆、翻訳、共同編集している。研究対象は、ベトナムと中国の有神論的宗教、初期の近世アジアにおけるヨーロッパ人宣教師、フエのテト攻勢における一般市民の実体験から、第二次インドシナ戦争における南北ベトナムの若者、さらに政治宗教まで多岐にわたる。近著Making Two Vietnams: War and Youth Identities, 1965-1975はケンブリッジ大学出版局から2018年に出版された。また論文は、複数の分野にわたる主要ジャーナル、例えば、Journal of Asian Studies、Journal of Southeast Asian Studies、Journal of Social History、Journal of Cold War Studiesに掲載されている。主要な受賞歴として、全米人文科学基金フェローシップ(National Endowment for Humanities Fellowship)、ヘンリー・ルース国立人文科学センター・フェローシップ(Henry Luce National Humanities Center Fellowship)、フランス・ナント高等研究所フェローシップ(Fellowship of the Institute for Advanced Studies in Nantes, France)、ダン・デイヴィッド国際フェローシップ(Dan David International Fellowship)がある。東南アジア地域研究研究所招へい研究員として2023年7月〜2024年1月に在籍。
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