Ehito Kimura
ビジターズボイス
移行期正義の軌跡
2020年から2021年にかけてCSEASの客員研究員として行った私の主な仕事は、2013年から2014年にかけてCSEASを初めて訪問した際に始めた研究の原稿を完成させることであった。当時、私はインドネシアへの調査と京都での研究を積み重ねるなかで、インドネシアにおける移行期正義の力学に関するプロジェクトを開始した。
移行期正義とは、過去の過ちを「正す」ことであり、政権交代や暴力的な紛争の過程、予期、余波の中で行われる残虐行為や重大な人権侵害に対処するために設計された一連の制度、政策、慣行を指す。一般的には、これには裁判や真実委員会、補償、謝罪や粛清などのメカニズムが含まれている。移行期正義の目的は様々で、犠牲者への説明責任と救済、社会的和解、政治・経済・法律の改革などがある。
インドネシアの新秩序体制は、1965年から1966年にかけての大量殺戮に始まり、1998年には街頭抗議や都市暴動の中で終焉を迎えるという暴力に彩られたものである。この間、この権威主義国家は、共産主義者や共産主義者と嫌疑をかけられた人々、イスラム教グループ、「犯罪者」、分離主義者、学生や労働者の活動家、政党や民主主義の支持者など、政府の敵とみなされた人々を対象に、さまざまな弾圧や暴力を行使してきた。1990年代後半のインドネシアの民主化に伴い、国内外の被害者や生存者を含む市民社会グループから、過去の暴力に対する加害者の責任を問う声が上がり始めた。これを受け、インドネシア政府は、過去に対処するための裁判所や委員会を設置するための法案を可決するなど、移行期正義に向けた具体的な動きを見せ始めた。同時に、これらのイニシアティブは、説明責任や社会的和解などの移行期正義に関わる、より大きな目標を幾度も達成できなかった。それでは、なぜ政府はこれらのイニシアティブを採用し、実施したのにも関わらず、最終的にそれらの多くの措置は失敗してしまったのだろうか。
移行期正義の反対派は、人権と移行期正義に関わる重要な改革を完全に拒絶することはできなかったが、彼らは、改革への取り組みを遅らせ、弱体化させるための別の方法に着目していたことが分かった。そのような手段には、しばしば用いられる脅迫や強制などの他に、邪魔者を排除し、無力化し、手なずける、あるいは拒否権を行使するといった組織的戦略も含まれていた。つまり、これらの手段が同時に取られたため、公式の移行期正義の処置が著しく損ねられる結果となったのだ。
同時に、移行期正義の活動家や擁護者たちは、公式な国家空間の外に置かれた移行期正義の代替形態を展開しようとした。 これらの形態は、より公式な国家中心の対応策を模倣したものであるが、単なる二番煎じ、三番煎じの代替策ではない。それらは、過去の公式の語りに挑戦し、再構築する新しい論争の場を提供している。 また単に国家を対象とするだけでなく、より広範な市民に訴えかけ、移行期正義が、説明責任や和解と同様に、言説や物語のプロジェクトであることを想起させてくれるものである。
正義を達成するための公式なイニシアティブの三つの進路と、これらに対応した三つの代替的アプローチが重要だ。合法主義的な移行期正義は、告発された加害者を刑事裁判所、人権裁判所、軍事法廷に引き渡すことに重点を置いていた。だがインドネシアでは、司法的な裁きのルートが次々と衰退していった。つまり、多くの事件が裁判に至らず、たとえ至ったとしても、有罪判決が下されなかったのだ。それでも、多くの擁護者にとって法治主義は魅力的な正義の形であり続けた。彼らは法の実践と言説を展開するために、「民衆法廷」をはじめとする国際的な、海外にある裁判所や法廷を「仰ぎ」見ていた。
一般に考えられている真実には、事実調査、人権調査、真実委員会のためのイニシアティブが含まれている。しかし、真実に対する異なる理解は、最終的には両立しないことが判明し、活動家が恩赦と不処罰のための手段とみなした国家的な真実和解委員会が設立された。さらに擁護者たちは、NGOが「Year of Truth(真実の年)」と名付けた市民社会のキャンペーンに参加し、国家を「囲い込む」ことを選んだ。このキャンペーンでは、さまざまな人権侵害を受けた被害者や生存者を集めて、過去に対する別の語りを提供し、異なる出来事の被害者同士の連帯感を構築するとともに、一般市民を巻き込んでいった。
最後に三つ目のアプローチは、悔恨の政治を追求するもので、先住民や植民地時代の遺産に対して他国が行った謝罪と同様に、大統領による国家的謝罪を計画していた。しかし、最初は盛り上がったものの、この計画も頓挫してしまった。この事例では、活動家と支持者たちは、国家よりも下位にある地域レベルで妥協し、市長が1965年の出来事について公式に謝罪を行った。
つまり、新秩序が崩壊してから数十年経った今でも、過去をめぐる争いは続いている。これは驚くべきことではない。他の国々は、数十年、数百年経った今でも植民地主義、権威主義、その他の形態の暴力や周縁化の遺産と闘っている。本研究は、過去に取り組み、過去に対する責任を果たすことの難しさを明らかにしている。なぜならここで扱う過去は、古い物語や言説が根強く残り、政治的改革が不均一で、過去のさまざまな不正が団結と同様に分断につながるような状況と結びついているからである。さらに本研究は、ポスト権威主義のインドネシアにおけるシステム的な課題と、システムでは予期できないアクターの動き、戦略、力といったエージェンシーが存続していることの両方を強調している。
ハワイ大学マノア校 政治学部准教授 木村恵人
(翻訳: 京都大学東南アジア地域研究研究所 芹澤隆道)