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パトリック・マコーミック


「フィールド」が「ホーム」になるとき


ご研究について教えてください。

私はビルマ史を専門とする歴史家です。現在は東南アジア地域研究研究所(CSEAS)に滞在しながら、何年も前に始めた本のプロジェクトに取り組んでいます。それまで16年間ビルマ[1]に住んでいたのですが、2021年のクーデターでビルマを離れなければならなくなりました。もしクーデターがなければもっと長く滞在していたと思います。そういった意味では、私の視点やプロジェクトは、1-2年だけその国を訪れ、その後アメリカなどに戻って研究成果を書き上げるタイプの「外国人歴史家」とは異なるかもしれません。

ビルマで生活していて気付いたのですが、イギリスの思想と慣習が人々の生活に多大な影響を及ぼしています。同じくらい印象的だったのは、その状況が、そこに住むほとんどの人々にとって普通であり、当然のこととされているように見えることです。例えばインドですと、植民地化と脱植民地化について、人々はより深く考察しているように見受けられます。

現在執筆中の本では、ビルマの人々が自分たちの過去を理解し、歴史を書く方法に対して、イギリスの考え方や慣習がいかに決定的な影響を及ぼしているかに焦点を当てています。例えば、人種(現在は「エスニシティ」と言われています)という考え方です。イギリス人が「ビルマ」と呼ばれるこの場所を作ったのですが、それは、それ以前の王国とは別物です。私の考えはそれほど革新的なものではありません。イギリスはインドを作り、フランスはカンボジア(Cambodge)を作り、オランダはインドネシアを作りました。ただ、これまでビルマという文脈で、そうしたプロセスを語る人がいなかったのです。

研究テーマはいくつありますか?

主に関心を持っているビルマ史については先ほど概要をご紹介しました。その他には、イギリスの植民地期の学者でビルマ研究の基礎を作ったゴードン・ルース氏についての研究も進めています。私は、彼の作品の中にある「移住」という概念に注目しています。それは、アジアの人々は別の場所から移動してきたという、当時のヨーロッパでは一般的な考え方を反映したものでした。

また、接触言語学や歴史言語学に関連する研究もいくつか行っています。ビルマ語の方言についても研究しており、民族の違いがどれほど言語の違いに影響を及ぼしているかに着目しています。また、ビルマ語の方言に関連して、最終的にはその構文の特徴を分析したいと思っています。

ビルマでの英語の使われ方にも興味があります。ビルマでは、インドのように英語は公用語ではありません。しかし、英語はいたるところで使われ、教養の証として認識されています。

研究テーマを面白いと思ったのはなぜですか?

先ほどの話に戻りますが、私の研究テーマは抽象的なものではなく、身近な人々や目に見える現象に関わることです。今まで語られてこなかったこと、説明されてこなかったことや批判的に考えられてこなかったことがたくさんあります。タイやインドネシア、ましてやインドのように、多くの学者が何世代にもわたって積み重ねてきた研究テーマではありません。ビルマでは人文科学に携わる知識人が少なく、一般的に彼らの研究の関心は、外国人の学者と同じではないことが多いです。

また、ビルマについて執筆している外国人の多くは、ビルマの言葉を話さないのに、自分のことを専門家だと考えていることを忘れてはいけません。似たような古い考えや解釈に基づいてレポートや本を書き、それが再循環し続けているのです。このような実態が、このテーマをより深く考えるきっかけになっています。

研究の道に進むきっかけや、今のご研究に至った経緯について教えてください。

2006年にビルマに移住するより前に研究に取り組みはじめました。ビルマ語を学び始めたのは1995年ですが、それ以前から大学で東南アジア史の講義を受け、この国に触れる機会がありました。最初はモン族とその言語(現在、モン族は主にビルマに住んでいますが、タイにもモン族の血を引く人や、ビルマから移住してきた人が多く住んでいます)に興味がありました。その後、ビルマに住んでみて、モン族の中にある考え方やプロセスが、他の少数民族の間にも、そして一般社会にも存在することがわかりました。

タイのモン族僧侶へインタビュー (2019年2月)
バンオーン家にてモン族の写本を見る (2019年1月)
モン語写本朗読会のレセプション (2008年)
ラオ語を話す若者たち
ビルマ、モン州 (2012年)

研究の成果を論文や本にまとめるまでの苦労や工夫をお聞かせください。

これまでに、様々な苦労をしてきました。多くのことを経験し、言いたいことがたくさんあるので、それらを削ったり、省いたりすることは簡単ではありません。複雑な状況や現象を文章にするとき、読者が理解し、納得してくれるものにするために、何を省き、どう表現すれば良いかを判断できるようになるには、かなりの訓練が必要です。また、同じような経験を持つ友人と冗談を言いあうのですが、「ビルマについて私が知っていることのすべて」という本を書いてしまいたい誘惑に駆られることもあります。

読者のことを考えながら書くことはとても重要です。何に興味があるのか。どうすれば理解してもらえるのか。未熟な書き手は、自分が言いたいこと、自分が面白いと思うことを中心に考えてしまいがちです。

私は二人のライティングコーチと一緒に仕事をしています。二人には大いに助けて頂いています。特にそのうちの一人は、私の中にある完璧主義について、そして私と同じバックグラウンドを持つ人間(白人系アメリカ人)がそこにいかに固執しがちかを指摘してくれました。彼女は、完璧主義が白人至上主義と密接に関係していることを教えてくれましたが、これには本当に驚きました。とても分かりづらいですが、潜在意識下にあるものです。完璧にしなければ”彼ら”のようになってしまう……という考え方です。

研究で出会った印象的なひと、もの、場所について、エピソードを教えてください。

私は公立の大学しか出ていないので、大物有名学者というか、学術世界で騒がれるような学者には基本的に出会っていません。ただそれは、私を育ててくれた人たちの研究に影響力がないということではありません。知的な面で言うと、私にとって重要な出会いの多くは、著述を通したものでした。著者の考えをゆっくり咀嚼して、身体に染み込ませていくのです。

著名な学者と実際にお会いすることも時々ありますが、ちょっと話したり、グループで会ったりするだけでは、深い関係を築くことは難しいです。「こいつはなんてエゴが強いんだ……」と思うこともあったりします。

影響を受けた本や人物について教えてください。

ワシントン大学では本当に多くの人から指導を受けました。今もほとんどの方と連絡を取り合っています。私の指導教官であったローリー・シアーズ氏もその一人です。彼女はビルマの専門家ではありませんが、私の研究を評価し、価値を見出してくれました。また、考察を深める後押しをしてくださいました。ジョン・オケル氏やウ・ソー・トゥン氏など語学教師にも恵まれ、忍耐強く指導してくださいました。また、言語としてのビルマ語について深く考える手助けをしてくれました。リチャード・オコナー氏についても触れたいと思います。1996年の夏に初めて講演を聞く機会があり、氏の考え方に感銘を受けました。私たちは米国アジア研究協会(AAS)の学会で会う機会を見つけては、1、2時間を一緒に過ごすのが恒例になっているのですが、氏は私の話に耳を傾けてくれると同時に寛大な指導者ともなってくれています。

理想の研究者像とは?

私の考え方は以前と比べてずいぶん変わりました。若い頃は、役に立たない非現実的なことをよく考えていました。特にアメリカでは、「天才学者」というカルトがあり、そのほとんどが男性です。一人で現場に行き、多言語を操り、本物の経験をして、長い間「あちら側」にいて、事実上ネイティブのようです。一流大学で素晴らしい仕事をしているので、研究資金は豊富で、著作は数々の賞を受賞しているなど。

そのどれもが現実的ではなく、持続可能でもありません。理由は様々あるものの、何よりも学問的な「成功」というビジョンが、かつてないほど手の届かないものになったからにほかなりません。ある程度年齢を重ねて私にも若い研究者を指導する機会が巡ってきたので、できるだけ「自分が読んだ学者と自分を比較するな」「その学者はすべてを理解していると思うな」「彼らのようになれなければ、研究をする意味がないと思うな」と強調するようにしています。

私の理想の研究者像は、過度な野心を持っていない人、現地の言語を学ぶために最善を尽くす人(ビルマやタイの専門家で、どちらの言語も話せない人――単に食べ物を注文できるだけでは不十分――の本は読みたくないです)、オープンで誠実な人です。

調査や執筆のおとも、マストギア、なくてはならないものについて教えてください。

私の歴史家としての仕事は、自分が住んでいる場所で人々に話を聞くだけなので「フィールドワーク」とは言えません。言語の研究では録音が必須で、高品質のレコーダーとマイクが欠かせません。さらに、東南アジアではなかなか難しいのですが、録音するための静かな場所も必要です。男性と一緒に仕事をするのも良いですが、女性の情報提供者に接するときはどうすればよいでしょうか。ただ「私の家に来てください」とも言えません。女性の同僚やアシスタント、友人がいると、特に見知らぬ人と接するときにとても助かりました。

執筆には、良いノートパソコンと大きな外部モニター、そしてオフィスか、それが無理なら静かなコーヒーショップが理想的です。インスト曲も必要ですし、もちろんお茶も!(笑)

研究者を目指す人へメッセージをお願いします。

よく聞くこと、学ぶこと、そしてオープンであることです。研究は多くの時間と心労を伴うものですから、あなたが心からインスピレーションを受けるものごとについて研究してください。迷ったり、落胆したりしても大丈夫です。その先に何かがあるはずです。でも、もう無理だと感じたら、指導や助けを求めることも大切です。

注意すべきは、人から言われたことをそのまま鵜呑みにしないことです。言われたことを分析し、あなたの考えを持つようにしてください。若い人の中には、批判的な再考や分析なしに、話し手が語ったことをただ繰り返すことが正しく、倫理的だと考える人もいますが、極めて未熟な考えだと思います。

人種や性別、国籍は大いに関係するので、人が自分をどう見ているかを意識してください。聞く耳を持たないヨーロッパ出身の研究者もいますが。もしあなたがアジア人としてアジアで研究をしている場合、私とはまったく異なる経験をするでしょう。研究者である私たちを、人種も国籍も違う現地の人たちがどう見ているか、私たちを喜ばせようとしているのか、自分をよく見せたいのか、逆に私たちを味方につけて認めてもらおうと考えているのか、それを理解することが重要です。これらを理解するためには、訓練が必要なのです。

今後の抱負をお聞かせください。

本や論文をいくつか完成させたいと思っています。それができれば満足です。

(2022年6月)


[1] 現在、日本語ではミャンマーの国名表記が用いられますが、著者の原文表記に倣い、ビルマで統一します (編集注)


パトリック・マコーミック
東南アジア地域研究研究所 招へい研究員
在籍期間 2022年4月-9月