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第27回ゾミア研究会(6月17日)

2017.05.16

第27回ゾミア研究会
(共催:東南アジア地域研究研究所 共同研究会「雲南・カチン・アッサム回廊」)

日時:2017年6月17日(土)15:00~17:45
会場:津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス https://cps.tsuda.ac.jp/20160601.html SA316
(守衛所で「雲南・カチン・アッサム研究会」または「ゾミア研究会」と告げ、ゲスト用のカードを貸与してもらうと入館できます。)

プログラム:
14:45 開場
15:00~16:00
      今村真央(山形大学)
      「インド北東部のシンポー族:仏教徒低地カチンという例外」
16:00~16:30
      藤田幸一(京都大学)
      「インド北東部のシンポー族の生業に関する予備的報告」
16:30~16:45 ブレイク
16:45~17:45
      小島敬裕(津田塾大学)
      「ミャンマー・カチン州プーターオの宗教と社会変容に関する予備報告」

報告要旨:
インド北東部のシンポー族:仏教徒低地カチンという例外
今村真央(山形大学)

「マユーダマ」として知られる独自の親族制度とジンポー語という言語、この二つを「カチン人」の構成要素とみなすと、100万人近い「カチン人」はミャンマーの北部(カチン州及びシャン州北部)のみならず、中国南西部からインド北東部にかけて幅広く分布している。この人々は近年、独特の民族衣装や祭事(マナオ祭)を民族文化の象徴として活発に用い、「越境する少数民族」としての自己表象を行っている。しかし宗教に目を向けると、中国では精霊信仰(アニミズム)、ミャンマーではキリスト教、そしてインドでは仏教と、各国で大きく異なっている 。リーチが『高地ビルマの政治体系』が強調したように、典型的な山岳民族は精霊信仰者かキリスト教徒であるので、上座部仏教の共同体を形成するインド北東部のカチン人(自称「「シンポー族Singhpo」」は異例の存在として特筆に値する。現地での聞き取りによると、インド北東部のカチン人は、1900年前後にミャンマーからの僧侶の教えてを受けて仏教を受け入れた。その時点で彼らがすでに低地平地民であったことは史料が示している。本報告では、インドに生きる仏教徒カチンに焦点をあて、その歴史をミャンマー側のカチン人と対比することにより、この例外の意味と意義を明らかにしたい。

インド北東部のシンポー族の生業に関する予備的報告
藤田幸一(京都大学)

2017年1月末から2月前半、インドのアッサム州およびアルナーチャル・プラデーシュ州でいくつかのシンポー族の農村で聞き取り調査を実施した。まだほんの予備的調査であったが、彼らの社会経済的状況について多くの貴重な知見が得られたので、それを報告したい。その際、同じ民族についての同様の調査を、2016年年末には中国・雲南省、それ以前にはミャンマー・カチン州でも実施したので、それらの間の対比も可能な範囲で試みる。以上に基づき、今後の研究課題についても議論し、将来のより本格的な調査研究のための呼び水としたい。

ミャンマー・カチン州プーターオの宗教と社会変容に関する予備報告
小島敬裕(津田塾大学)

本発表では、ミャンマー最北部の宗教と社会変容について、2017年3月に行った調査に基づき、予備的な報告を行う。カチン州プーターオでは歴史的に、カムティ・シャン族が人口の多数を占めていたとされるが、カチン州南部やザガイン地方域北部、さらにはインドのアルナーチャル・プラデーシュ州への断続的な移動の結果、現在ではむしろ少数派に転じている。彼らは共通して上座仏教を信仰しており、寺院の住職が不在となった際には、他地域から招請するといった関係を維持している。一方でプーターオには、1950年代以降に中国雲南省から移住したリス族をはじめとする多数の非仏教徒も存在する。これに対し、軍政期の1990年代に入ると仏教普及政策が本格化し、ビルマ僧や他地域のシャン僧が派遣されて、非上座仏教徒の宗教実践に影響を与えた。こうしたローカルな実践の動態を、中国・インドとの国境を越える人の移動や、ミャンマー国内の宗教政策との関わりから分析する。

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《連絡・問い合わせ先》
ゾミア研究会 世話人:藤田幸一kfujita[at]cseas.kyoto-u.ac.jp、下條尚志、堀江未央
雲南・カチン・アッサム回廊研究会 代表:今村真央imamura[at]human.kj.yamagata-u.ac.jp

(なお、研究会の後、 千駄ヶ谷周辺で意見交換会を予定しております。)